廿日会祭は毎年4月1日から5日まで、桜花爛漫の中 各種祭典が繰り広げられます。 旧暦2月20日に行わ れていたお会式がその起源で、遥か今川時代以前にさ かのぼり、3月3日の桃華会、5月5日の流鏑馬祭ととも に三大祭に数えられました。神仏習合の影響で、祭事 は神職、社僧両部で行われていたため「会」の字が使わ れ、20日が祭日であったので「はつかえ」といわれるよう になりました。 明治27年より新暦の4月5日斎行と改められ、幾度の変 遷を経ながら今に続いています。 この廿日会祭が盛大に行われるようになったのは、徳川 家康が大御所として駿府在城の折、静岡市西北部にあっ た建穂寺(明治時代に廃寺)に伝わっていた稚児舞楽を 気に入り、浅間神社のお会式にも奉納させてから といわれています。当日は、一年間の行事を掌る「年行 事」は建穂寺へ出向いて、稚児のお出ましを七度半願っ たそうです。そして、浅間神社へ向かう稚児の行列は10 万石の格式を与えられ、大名行列並の仰々しいもので した。建穂村から安倍川の安西川原(現安西五丁目)に 到着すると、町衆による「踟(ねり)」と呼ばれる山車・屋 台や仮装した人々によって出迎えられ、浅間神社まで 長い行列を組みました。練物の人や、見物人が非常に 多く、駿府城堀端には高張提灯が建てられ、加番など の役人までもが警固にあたったそうです。 |
||
舞楽の練習をする稚児。 | 御本殿横の枝垂桜。廿日会祭に彩りを添えます。 |
|
右、「咲耶車」 左、「神武車」 ともに青葉連によって曳かれます。 |
駿府本部踟によって曳かれる「稲荷車」。 | |
浅間神社祭礼で曳かれる山車は「江戸型山車」と呼ばれるもので、下段の前壇を囃子台とし、 後壇には上段と山車人形を格納し、幕で覆います。上段は四方幕で覆われ、 下段後部に取り付けられた「おだまき」を巻くと上段と人形が上下する仕組みとなっています。 江戸山王祭や神田祭でも同様の山車が曳かれていましたが、明治期に線路や電線が張られ、 山車祭りは衰退。代わって神輿祭りへと移行しました。 また、山車の梶前で牛が綱を曳くのは、江戸と駿府だけに許された伝統だそうで、 山王、神田両祭が神輿祭りへ移行したため、今は静岡だけに残っていて、 全国で唯一牛が曳く山車として有名です。 |
||
「稚児小梳神社参拝」4月5日午前10時。 廿日会祭は明治維新、日露戦争、大東亜戦争などの 中断を経て、現在は安西五丁目からの行列は廃絶し、 市街中心部の小梳神社と別雷神社から毎年交互に 出発しています。本年は小梳神社より出発。 |
静岡大学の学生さんによる稚児輿舁。 黄衣(おうえ)、風折烏帽子姿で輿を担ぎます。 |
|
小梳神社より出発する稚児。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||