静岡浅間神社 稚児舞楽 
(静岡県指定民俗文化財)

静岡浅間神社の例大祭「廿日会祭・はつかえさい」に奉納される稚児舞楽は、
権大納言山科言継の日記「言継卿記」【大永七年(1527)から天正四年(1576)】
によれば、2月22日、今川義元の生母である寿桂尼より酒肴を賜って、
稚児の舞を見学し、その優雅さに感動したことが記されています。
この記述は、すでに450年前今川時代には、稚児舞楽が行われていたことを
物語っています。現在は徳川家康が建穂寺に伝わった稚児舞楽を、浅間神社に
奉納したことになっていますが、推測するに、戦国時代に社頭が荒廃し、稚児舞楽も
中絶したのを、徳川家康が再興したのだと思われます。

拝殿では、例大祭が行われ、その後稚児舞楽の奉納となります。
舞楽奉仕の稚児は、「舞人・まいにん」と呼ばれ、市内の小学生
男児が選ばれます。かつては、幕臣の子弟が選ばれました。

「振鉾・えんぶ」
舞い始めにあたり、鉾を手に持って四方を清める舞です。

「納曽利・なそり」
雌雄の龍が遊楽するさまを表した舞という。浅間神社では一人舞で
一人で舞うときは、「落蹲・らくそん」といいます。

「還城楽・げんじょうらく」
中国西域の人は、蛇を好んで食べるといい、蛇を見つけて、
歓喜するさまを舞にしたものと伝えられています。
浅間神社でも、舞殿中央に置かれた蛇を獲り、歓喜する舞です。

「安摩・あま」「二の舞」
「安摩」は、二人の稚児が笏を手に持ち優雅に舞います。
しばらくすると、軽快な拍子に代わり、笑面と腫面を着けた
爺・婆が登場し、稚児の舞を真似て滑稽な所作をします。
これを「二の舞」といい、二の舞を踏むのことわざとなった
舞です。軽快な太鼓のリズムから、別称「ずじゃんこ舞」とも
言われ、滑稽な爺・婆の舞を見て稚児が笑うと、顔の向いた
方向の作物は不作になるという俗信があります。

「太平楽・たいへいらく」
漢の高祖が、楚の項羽と酒宴を催した席上、項荘と項伯の二人の武将が、
剣舞を披露した故事を模した舞で、宮中では天皇即位の大典のときなど、
特別なときに舞われます。浅間神社の舞も、稚児が鉾・剣を手に持ち、
優雅に舞います。この舞で稚児舞楽の舞納めとなります。

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