平成18年 筒井町天王祭 名古屋市東区筒井地区

建中寺山門前の筒井天王社と情妙寺前の須佐之男社を中心に
町内を二輌の山車が曳かれます。祭りの始まりは、天保年間に
疫病が蔓延、津島の神を鎮祭して疫病退散を祈願したと伝えられています。

建中寺本陣前の「神皇車」
もと広井村新屋敷(現在の名古屋駅付近)所有で、那古野神社の前身三之丸天王社
祭礼の車楽(だんじり)の見舞車として文政7年(1824)に建造されたものですが、
名古屋駅建設により新屋敷地区が消滅することとなり、筒井町が購入したそうです。
現在は名古屋唯一の朱塗りですが、元は黒塗りだつたとか。
神皇車は神功皇后車の略で、からくりは皇后、武内宿禰、巫女の三体からなり、
三韓征伐の物語です。


巫女が塩干玉を手に持ち、荒巻く波を・・

鎮めるために皇后の前で・・・

竜神に変化し、手にする塩干玉を海上に放つというストーリーです。

楫方の木遣り

「湯取車」
もと名古屋の東照宮祭礼の山車で、
桑名町所有でしたが、筒井4丁目地区が
譲り受けたものと伝えられています。
建造は万治元年(1658)で、現存する
名古屋の山車の中で一番古いものです。

巫女が笹を振ると紙ふぶきが釜から噴出します。
湯取(湯立)神事は関西方面で多く行われている
神事で、古代の盟神探湯(くがたち)が起源といわれ、
湯がかかると祓いになるそうです。吉田神楽
(京都吉田神社の神楽)では、四方拝という
神楽舞があり、その後湯立てが行われます。

湯取車楫方

湯取車囃子方

神皇車と湯取車の出会い

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